『アルモニア』第壱号 <リライト版>

 澤口 忠左衛門が主宰した「仙台アルモニア」合奏団は結成と同時に、隔月一回『アルモニア』という小冊子を発行した。最初の号はガリ版刷り(手書き)で紙質も劣るものであったが、マンドリン及びギターに対する熱意は冊子の外見を遥かに超している。

 第二号からは印刷に付され、号を重ねる毎、内容も充実していった。当時、ドイツではマンドリンが隆盛の最中にあり豊富なドイツ語による文献が合奏団メンバーによって翻訳され、『アルモニア』誌上から全国に発信された。

 『アルモニア』第壱号の原本は、紙質の関係で裏移りやら刷りが薄かったり、不明瞭な箇所が多いため、複製せずリライトすることとした。リライトにあたっては、読みやすさを念頭に置き、旧かな遣いを出来るだけ新かな遣いに直したが、厳密ではない。

アルモニア 第一号 <リライト版>

[表紙]

アルモニア   第壱号       エストウディアンティナ・アルモニア・センダイ

[扉]

ANNO.Ⅰ NUM.Ⅰ.      Sendai Ⅰ.Gennaio.1927

       L‘ARMONIA

         Editor‘

Estudiatina “ARMONIA”

           di

         Sendai

[目次-1頁]

目 次   第壱号

■発刊に際して                石森 隆知

■本年度に於ける「アルモニア」        杜  一私

■漫筆                    ステーヂ・ボーイ

■第一回演奏会回顧              高橋  功

   □インテルバルロ(1)「虫が好すぎる事」 北  留禮

   □夜話                 I.MORI

   □編輯後記               委  員

■ 本「アルモニア」の組織

○ 第壱回試演奏会プログラム

[2頁]

発刊に際して                  石森 隆知

 謹んで諒闇の春を迎え御挨拶を申上げます。

 大正十三年我「アルモニア」の生まれた当時からの思出その他雑感を二、三述べたいと思いましたが、公用や雑務に追われ且つ健康を害し、本誌発行までに間に合わなかったことを遺憾とします。詳しくは次号に譲ることにしまして、ただ私の希望を述べて筆を擱くことに致します。

 「アルモニア」は未だ遠き将来をもつものですから総てに於いて今後一層の研究を重ね斯界に「アルモニア」を知らしめたいと思います。我「アルモニア」のため、一層会員諸氏の御努力を願います。

[3~10頁]

本年度に於ける「アルモニア」           杜  一私

 アルモニアが発刊されたことは喜びに耐えない。極く僅少な部数であっても、吾々が書き得、亦読み得ると云うことは異常な欣快でなければならない。「アルモニア」誌が今後如何なる発展をするかは未知数であるがこれは必ず拡大せらるべきである。「アルモニア」合奏団としての進歩と「アルモニア」誌としての使命は必ず並歩すべきであろうと思う。凡そ一般に雑誌を発行しようとすることは最近の流行であり傾向であり、そして読者にとっては其氾濫に苦しむこと一通りでない。殊に近来にあって地方雑誌・同人雑誌・何々研究等多種多様なる事夥しい。この中にあって多数の迎合に陥らず、吾々の純清を保ち主張に生きることは痛快である。印刷などはどうでもいい。吾々が書きたいだけ書いて、それで不体裁になろうとすれば、編輯者が救って呉れるだろう。吾々の「アルモニア」誌が容易に生まれたことの由謂である。

 左に「アルモニア」の本年度の抱負希望等を書いてみようと思う。

 「アルモニア」は毎週一回の奏法と一回の合奏練習を必ず続けて行き度いと思う。奏法練習に就いては必ず教科書の過程を経たい。これは以前から続けて来ていることではあるが今後は徹底的に実施したい希望を持っている。これに就いては種々腹案を持っているが、この奏法練習が合奏団の基礎を造ることは云うを待たない。或場合この奏法練習が「アルモニア」としての研究的団体の必須な要件でもある。教科書はムニエル著作「実際的マンドリン大教則本全四巻」を使用したい。其他特殊な技巧練習のためにはムニエル著作の「ショリディタ」(作品一九九番・二一三番・二二五番・二二七番)の四巻及びカラーチェ著作マンドリン教則本第四巻より第六巻(作品四〇番・四一番・四二番)までが理想的である。以上は教科書としてであるが楽曲の練習用としては教科書と異った使命を持っている練習曲を撰ばなければならない。ムニエル著、作品二〇〇番の「演奏会用大練習曲」及び作品二〇五番の「アリア・主題と変奏」等が適当である。然しこれ等の過程は一般的として望ましいことであるが、大体大教則本四巻がどうしても終えなければいけないと思う。大教則本が実際的に合奏に役立つことは認められているから

「アルモニア」としての練習は前述のムニエルの「実際的マンドリン大教則本」の第一巻から確実に練習していきたい。練習の階程相違から起る実際問題に就いては練習日に思いついたままを直接にお話する機会を造ることを心懸けることは勿論である。以上はマンドリンに就いてであるが其他の低音楽器例えばマンドラとかマンドロンチェルロとかに就いては別記すべきであるがただギターに就いてのみ附言せねばならない。ギター教則本はカルカッシの「ギター教則本」を使用することは殆ど定説である。米国のジャコブスが編して出しているものが原本に忠実なことは広く知れ渡っている。この教則本は容易に入手することのできる便利がある。「アルモニア」としてもこの教則本を使用したい希望である。

 以上練習に就いて列記したまでであるが実際に於いて教科書の練習は面白味を欠く。然し初期の練習には耐えねばならない。それから練習は練習日のみが可能なのではなくて、かえって其他の時日が最も有効に練習の目的を遂行するものであることに注意せねばならない。練習日はただモーチーフとヒントより一歩も出ていない。其他のことはこの日以外に求むべきである。要は努力にある。結局は根気である。凡ゆることが平凡に終ってもこのことだけは自らが感ずる偉大として残るであろう。

次に合奏練習である。奏法練習に於いて不足のものは合奏練習に於いて充足せねばならない。合奏は全パートの機能としての一パートを見え出さねばならない。云わば自らを没して合奏としての結合の中に生きることである。合奏練習はこれ等の欠点に対して最も必要である。タイムの観念が極度に要求される。音色上の表現は他パートとの結合上に注意せねばならない。如何なる独奏者と云えども合奏の練習を持ていない奏者に尊敬することはできない。エストゥディアンティナはマンドリン・ギター系楽器の合奏を意味する伊太利語である。最初は極く少数のマンドリン及びギターの合奏を意味したフランス語であるがそれが伊太利語他して現今は凡ゆるマンドリン・ギター系楽器からなる大合奏を意味する語となったのである。吾が「アルモニア」に冠するエストゥディアンティナとあるは合奏の重要さの見地から合奏団としての存在を強調している点にある。

吾が「アルモニア」の合奏練習には「アルモニア」としての可能亦は努力すべき範囲に曲目が編成されることと思う。これは充分考慮して興味と各自の技巧練習の過程に応じて既刊の曲譜や新刊の中から撰出されることは勿論である。

演奏会に就いても書かねばならない。昨春第一回試演会の時は年に二回位演奏会を開くべきことを暗黙の中に約束した。けれども昨秋は不可能であった。それには種々の理由があるが今年以後は遂行したいと思う。「アルモニア」としては演奏会は第二次的なものである。蓋し練習の結果として発表が必然に試演会としての性質を帯びて来るからである。これが「アルモニア」の演奏会なのである。第二回は三月末か四月初めに開催したい。大体曲目の腹案も出ている。そして全部合奏曲即ち、オーケストラル・コンサートとしたい意向を持っている。それは「アルモニア」四重奏団としての四重奏曲演奏会を其直後発表したい意志から合奏曲と室内楽とを別個にして開催したい希望である。この四重奏団に就いては目下具体化しつつあるがマンドロンチェルロを含む純粋のプレクトラム四重奏とギターを含む四重奏を組織して研究に資したいと思う。今秋に予定さるべき第三回の演奏会は未だ腹案を持っていない。実際第二回も済まない内に言及する取越は余り必要でないが矢張オーケストラル・コンサートは開催しても第二回室内楽演奏は不可能であろうと思う。何故なら現在マンドリン室内楽として発表せられているものは極く小数で第一回に大部分を演奏して了うことになるかも知れないからである。

それから合奏編成に就いて言及せねばならない。昨年末マンドローネを用意して吾々合奏用には底音として格好であろうと思う。然し、メンバーが二十人を超した場合は、底音部としてはキタルローネを併用せねばなるまい。けれども吾々のグループとしては現在発表されている楽曲、殊に近代マンドリン合奏用楽曲であっても大体演奏不足を来たすことは無かろうと思う。だが中音部としてマンドラコントラルト及びリュート(モデルノ)を用意したいと思う。吾々の努力はこの要求を間もなく充たし得ると思う。

其外のことは言うべく書くべき他の人達があるであろう。会員相互の懇親のために当該委員は天才的計画を発表するであろうし、「アルモニア」誌が好妙なる編輯に依って意外な発展を期するであろう。それ等は凡て筆者及び会員一同が期待するところのものである。

  何分速急のことで、充分な考證等をなし得なかったことは遺憾である。次号に於いてもっとまとまったものを書き得ると思う。尚今春の演奏会に出そうと思う腹案中の曲目に就いて一般的な解説と各パートの演奏上の注意を可成細部に渉って書いて見ようと思う。

[11頁]

漫筆                 ステーヂ・ボーイ

       ◇

「アルモニア」は毎曜毎に一歩々々と確実に進歩を見せて居るのはうれしい。そうだ確実な進歩だ。「大器晩成」の格言が吾々に味方して呉れる。

 武井守成氏が「すべては再奏せらるべきなり」の標語をかざして立たれたが、それは確実な歩を踏んでなかったことを後悔(?)して居られるらしく思われるが・・・・・なんて言うたら高い所からねめつけられるから此の辺でひかえるとして。

        ◇

 本邦斯界が本邦作家の作品に注意をむけるようになったのは嬉しい。けれども流行にのって而も倦き易い日本人が海外作家の作品に倦きたからでもあるまい。海外作家の曲に行詰りを見出したとは心細いが行詰りの結果本邦作家の作品に注意されるに致ったのでは尚心細い。併しこんなことは妄想であらしめたい。

[12頁]

第一回演奏会回顧              高橋  功

 

 回顧と言うても昨年五月廿日の第一回演奏会前後の思い出を並べるに過ぎないので雑感とでも言うべき所である。次に思い付いたまゝ記す、断片的に。

       ×        ×       ×

 あの演奏会がいよいよ具体化されるに至ったのは、いつの頃だったかはっきりした記憶がない。三月か四月頃から準備に取りかかったように覚えて居るが。とに角五月に入ってから会長を始め委員が会場及びプログラムの作成に大いに奔走して居た頃から私の思出は始まる。何でも適当な会場がないために非常に困らされたことを覚えて居る。カルトン二階のオーデトリアムに略決定してからも、奏者控室とステージに不満があって止むを得ず公会堂洋館に変更を余儀なくされたようなわけだった。仙台に適当な合奏場のないのは全く残念なことだ。五月十日頃だったと思う、会長に渡されて皆でプログラムを見入った時は全く緊張の念を強められたことだった。

  『色々な雑務例えば印刷所への交渉の如き仕事迄、委員達に多過るように思う。委員が重要な奏者であるから若し私達、一般メンバー(仮に委員を除いたメンバーを呼ぶに此の語を用いる)に出来る仕事があったら、成る可く分担させて然るべきだと思う。』

      ×         ×          ×

いよいよ演奏会当日は四時まで会場に集まることだった。私自身そうであったが木曜日だったので、止むを得ぬ事情で遅刻したが他の一般メンバーにも遅刻したものを見たのは矢張り木曜のためだったからではなかったろうか。とに角会場の整理が一応済んだ頃は日が暮れてしまった。

      ×         ×          ×

 その日、ステージ練習はなかったけれども、今後はもっと時間の都合をつけて一、二曲練習させてもらいたいのは私一個の希望ではないと思う。

      ×         ×          ×

 あの夜、アルモニア・メンバーで当時在営中だった星氏が軍務の都合をつけてあの会に臨まれたことは、一同の最も喜んだ所であり改めて氏に感謝する所である。全く力強い事だった。尚、会後、前田河先生がメンバーに挨拶下さったことを付記する。

      ×         ×          ×

 七時十分頃曲目一番の幻想的序曲「山嶽詩」より始まり、順序通り四番の「妖女の舞」を終えて十五分休憩の後、曲目第五の「砂漠の沃地にて」大高評裡に曲は進められ、九時半近く「西班牙女」であの会は終わりを告げた。一同後仕末の後十時散会。

      ×         ×          ×

 あの夜、聴者は三百を数えた。あの会場にしては寂寞の感なきにしもあらずだが私達は私達の会を理解しない十人よりも理解する一人を迎えるものである。

      ×         ×          ×

 最后に本誌の発刊を祝いつゝ、つまらぬ回顧を並べ立てたことを詫びて筆を擱く。

一九二七.一.六

[15頁]二段組

インテルバルロ「虫が好すぎる事」        北   留禮

 過ぎ去ったことに今更構まう必要はないが、当時としては多少心を焦だたしたことは否まれない。大正十四年の春、同志社大学マンドリン倶楽部が当市に来演した時のことである。同倶楽部の優れた演奏は吾々に凡ゆる意味での清新さと刺戟を与えたことは勿論であるが、当時吾々はフレット楽器音楽の曲譜の入手に非常に苦心して居た時なので同倶楽部の演奏会に僅少の(実際僅少の)好意を機会に亦、知人である関係者を通して曲譜の借り入れ方を申入れたものである。然し同倶楽部としても苦心して集めたものをそう易々と吾々に貸して呉れるのは虫が好すぎる。で体よく断られたが然し吾々とても熱心に虫の好すぎることを承知の上、厚顔に頼み込んだ結果はムニエル作「ニ長調」及び「ハ長調」の二つの四部曲のリュートパートを京都へ帰ってからコッピイして送って呉れることになった。吾々はこの約束に尠なからず喜んだ。コッピイまでもして呉れると言うのだから。だからどんな礼をしようかなど、ひそかに思い悩んだ次第である。けれども此の種の礼心の永々続くことは余りいいことではない。コッピイの楽譜は何日待って居ても到着しなかった。まさか督促をも仕兼ねた。黙って虫の好い事を待って居たのは少し賢いことではないことに気が付いた。然し私は忘れなかった。何時も頭に残って居て仕方がない。結局未だに送って来ない。又私としても待つ必要はなくなった。欲しいと思った曲譜は大部分入手することが出来た今はただ思い出すだけである。曲譜が手に入ったからって其の約束が消滅したとは思わないが、兎に角私対倶楽部のことは曲譜の入手によって実際なされるべき取引は済んだことも同じである。

 余り虫の好い約束はしない方がいい

        *        *        *

[17頁]二段組

   ◇夜 話◇               I.MORI

 

 十九世紀にペテルスブルグに於て有名な作曲家チャイコフスキーの特別なる尊敬と歓待とを受けたアミチと呼ぶ伊太利のギタリストが或日ロシアのギター・ヴィルトウゾとして知られるレベートフの許に個人的知遇と教を受くべく訪問した。二人は間もなく旧知の如く意気投合して数葉の楽譜が並べられた。アミチはそれを興味と優れた技巧とを以ってそのもたらした数曲の中から素張らしいエチューデとファンタヂイを演奏して名奏振りを発揮した。彼がそれを終わった時レベートフはアミチの肩を頼もしげにたたいて言った。『私はアダヂオの先生であり、貴君はアレグロの先生ですね』=ギターの友第二十七年第五号より=

        *         *        *

   ◇本会員の職業調◇                 漫兎倫

 鉄道局員四名       会社員一名

 銀行員三名        官吏一名

 逓信局員二名       二高生一名

 尚、客員として理学士二名、医科大学生一名、工科大学生一名あり。

         *         *       *

[18頁]二段組

編輯後記                  委員

◇ 何しろ相談が持ち上ってから電光石火的に二日間で原稿を纏めて三日目には浄書四日目には印刷製本と言う、頗る泡を食った仕事なので不備不満で充実してるのは恐縮に耐えない。

◇ 石森氏が次号で詳しく書くであろうが「アルモニア」が生まれた時は会員が僅か六人に過ぎなかったのが(それも余儀ない事情で途中から二人かけた)今では十人以上になった。この塩梅で行けば二十五人位の団結したグループを作ることはいと容易にも思われる。

◇ 現在の会員は荘司、橋本、横堀、伊藤の四君、石森、佐々木、沢口の三君、畠、渡辺の二君、及び相原君、皇君、高橋君の十二名。

◇ 次号の原稿を寄せて頂きたい。締切は本月二十五日、編輯委員まで。

◇ 記念のため昨春の第一回試演会のプログラムを巻頭に挿んで置く。

                      (一九二七.一.八.夜)

[19~21頁]

本「アルモニア」の組織(本「アルモニア」の組織に就て一般会員に諒解を得ていない向もあるので此処に公表しておきます)

本「アルモニア」には会員相互の交誼に信頼する外特別なる規定は持っていないのです。

ただ向後会員相互の約束上の不備のために色々な親愛を欠いたりすることを防ぐために左

の数項に就いて御留意を得たいと思います。

第一項 本「アルモニア」の目的に就いて

 本「アルモニア」はフレット楽器(マンドリン・ギター系楽器)の広義に於ける研究を目的として其れに伴う凡ての運動を徐々に進めて行きたいと思います。

第二項 委員に就いて

 本「アルモニア」は諸事務の遂行上「会長兼会計委員」として石森氏、「庶務委員」として星氏、「演奏委員」として沢口氏、「編輯委員」として伊藤氏の四委員を置きます。

第三項 新入会員及びメンバーに就いて

 本「アルモニア」に新たに入会せんとする向は現会員の紹介により既定委員の薦衡の結果に依ります。尚例外として時期を定めて一般的に募集する時があります。亦合奏メンバーの編成は一切委員に依り決定を致します。

第四項  楽譜に就いて

 「アルモニア」所有の楽譜に就いては相当苦心をもって叢集していますので、貴重なものと思わねばならないのです。ですから他に持ち出すことは大体に於いて禁ぜねばなりません。然し特に御申込みに対して差支ない限り委員合議の上、ある条件を附して持ち出しを許可することもあります。会員が合奏其他の必要のために大体同一パート二人に対して一枚の程度に何誰か写譜を引受けて貰わねばなりません。この写譜と雖も前述の持出の約束は守って頂きます。尚会員が「アルモニア」としての研究のために使用し亦は借受けることは自由ですが「アルモニア」所有の楽譜は当該委員に、会員個人としてのものは当事者間に於いて受渡しを明瞭にすることは必要であります。

第五項 「アルモニア」に就いて

 昭和二年一月より本「アルモニア」は編輯委員担任のもとに機関誌として「アルモニア」を発行致します。寄稿の限定はありませんが、「アルモニア」機関誌たることを失わない約束のもとに寄稿を受けます。「アルモニア」誌は現会員及び以前「アルモニア」に関係のあった方々や友誼団体等に寄贈するものとします。

第六項 会費に就いて

 本「アルモニア」を維持するために会費として会員各自一ヶ月一円の出資を願います。そして当該委員は一年に一回以上其決算報告を「アルモニア」誌上に公開することを要します。尚会費として既納せるものは一切返却致しません。

[22頁目は白紙]

[裏表紙-奥付]

事務所  仙台市東一番丁西内楽器店内

     仙台アルモニア・マンドリン合奏團

     電話1315番

昭和二年一月一日

 

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 <リライトにあたって>

*1 原本の冊子形状はガリ版刷りによる袋とじ製本。たて245mm×よこ165mm

  (仕上がりA5版)。

*2 巻頭にイタリア語による第一回演奏会プログラムが挿入されています。

*3 文字の下線は「原文のママ」であることを強調したものです。

*4 句読点、送り仮名は原文のママ。旧仮名遣いは新仮名遣いに、一部の旧字は新字

   に直してあります。

*5 原本はたて組み、手書き。一部2段組。

*6 大正15年(昭和元年)大正天皇崩御により昭和2年は服喪中にあたります。

   ちなみに昭和元年は12月25日から31日までのわずか7日間しかない。 

*7 「杜 一私」は澤口 忠左衛門のペンネーム。

*8 このリライトの全責任はアルモニア・ギター協会にあります。

 

                    アルモニア・ギター協会(文責 湯下節男)