『アルモニア』拾い読み                  湯下 節男

第一巻 【第1号~第12号】

 

  仙台市に於けるマンドリン・ギター音楽会・プログラムを集めて 

             (佐伯藤三)【1927・S2・第2号】

大正9年(1920)7月22日松島座(注1)で慶応義塾マンドリン倶楽部による慈善音楽会が開かれ、マンドリン曲のほかギター独奏(注2)としてコール作曲『スパニッシュファンダンゴ』が演奏された。次いで同じ年の11月22日仙台市公会堂(注3)で東京プレクトラム・オーケストラの公演で佐藤氏のギター独奏で『ホームスィートホーム』、本田氏がウォーロール作曲『セバストポール』を演奏した(注4)。

また、大正12年(1923)東北帝大音楽部によって仙台市民による最初のプレクトラム演奏会が開かれた。そして、大正15年(1926)5月20日仙台アルモニア合奏団の第一回試演会の中で石森隆知氏のギター独奏により武井守成作曲『即興曲op8』とフェレール作曲『ノクチュルノ』が演奏された(注5)。さらに、同年11月26日東北帝大マンドリンオーケストラ演奏会において、北脇氏のギター独奏でフェレール作曲『バルドの唄』、アンコールでテルツィ作曲『セレナータ・アルペストレ』が演奏された。

  ※(注1)現在、東一番丁の仙台フォーラスのある場所で当時は歌舞伎を興行する  

      芝居小屋であった。

※ (注2)KMC百年史余話から推して、このギター奏者は月村嘉孝氏と思われる。

※(注3)現在の仙台市民会館。

※(注4)筆者の佐伯氏(アルモニアのメンバー)によれば、この時点で“数年前まで当市に在住のメンバーに依る演奏会が全然なかった”という。

※(注5)おそらくこれが仙台市民によってギター独奏が行われた最初の記録であろう。 

 

 ◇秋一言(武井 守成)           【1927・S2・第6号】

       (前略)『自ら一つのオーケストラを主宰する私としてまことに僭越な申状だが、事実今日の斯界には、無暗に名のある曲を演奏したがるものが随分多い。

自己の腕が足りない事を意識して尚且其曲をプログラムに掲げるに到っては勿論問題外だが、中には、自己の手腕中にありと信じて曲目に加うるものも無論あろう。之は前者に比して罪が軽い。

 罪は軽いが、之をも救わなければ成らないのは勿論である。では如何にしたら救えるか。

 私は三つの定義を提出したい。一、先ずあらゆる曲を単に自己の前に置かれたる無名の曲として認めて欲しい。名曲だとか、大曲だとか、方々で演奏されるとか、未だ演奏されないとか云う事を一切忘れて欲しい。二、その曲を出来るだけ正しく、真面目に演奏して、果して自分の心に触れる所があるかどうか。もっと分かり易く云えば、真に興味をもち得るかどうか。を考えて欲しい。三、本当に興味が起らなかったら、たとえ如何なる名曲でも、大家の曲でも、それは一切プログラムに掲げない事。何となればそれは少なくとも自己の頭が、或は自己の腕が、未だその曲を演奏するに適していない事を証するものだからである。

 勿論興味はもち得ても、必ずしも満足な演奏が出来るとは云えない。が興味をもち得る曲の方が、もち得ない曲よりもよく演奏される可能性があると云う事には、誰しも反対はない筈である。

 云う迄もなく此定義は消極的な、如何にもプリミティブなものである。然しながら今日の斯界には未だ充分に役立つものである事を信ずる。』(以下略)

   ※「良薬は口に苦し」で耳の痛い箴言である。

 

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◇昨年度の独奏曲一覧~ギター関係/『マンドリン・ギター研究』所載

                        【1927・S2・第3号】

(作曲家より見た演奏回数と曲数、1回以下は略) 

演奏回数

作曲家

曲数

11回

フェレール

10

武井 守成

10

タルレガ

10

メルツ

木村 絃三

ソル

ブロカ

ジュリアーニ

カルカッシ

カルッリ

ビックフォード夫人

レニアーニ

 

(曲名から見た演奏回数)

演奏回数

曲名

作曲家

5回

軒訪るゝ秋雨

武井 守成

カプリチォ・アラブ

タルレガ

ロマンツァ

メルツ

即興曲

武井 守成

野遊び

武井 守成

土耳古帽

木村 絃三

狂想曲

レニアーニ

ナイアーデの踊

フェレール

バルドの唄

フェレール

湖上の夜

フェレール

ブロカ

ギャロップ

ソル

舟唄

メルツ

序曲と華麗なるロンド

メルツ

 

 ※フェレールは、現在でも発表会でよく弾かれるが、当時でもギター愛好者には人気の作曲家であった。

 ※武井守成の作品が目立つ。武井氏の主宰する『マンドリン・ギター研究』誌の調査に依るため、身内の演奏会を主としたためかは判らないが、当時の狭い情報網から見て日本全体を網羅する情報量だったとは思えない。とはいえ、主な傾向は看取できる。

 ※澤口忠左衛門は武井守成を尊敬・崇拝し、師弟関係と言ってよいほどの親密な間柄であった。このため、こういった同業(?)他誌からの転載記事が可能だったのである。

 

     「アルモニア」第3回演奏会が仙台市公会堂で開催。【1927・S2・第7号】

観客700人余り。中に一枚の招待券で一族郎党7名を連れて「これは僕の家族ですからよろしく」という者も現れ、次回からは一人一枚と決めた。

 

     11月20日澤口ほか二名、東京の『オルケストラ・シンフォニカ・タケイ』を訪問、武井守成と面会。これが初めての面会である。当時の仙台-上野間は汽車で8時間位かかった。この年の暮れ、東京~上野に日本初の地下鉄が開通する。【第7号】

 

     「アルモニア」の購読料は送料共、年間1円32銭、のち2円。事務所は仙台市荒町12番地澤口方にあった。【1928/S3/第8号】

 ※ 澤口忠左衛門の自宅(事務所)はまもなく同市荒町165番地に移り、「アルモニ

  ア」の本拠地となる。 

     高橋功による『ギター音楽略解』の連載始まる。フリッツ・ブーエク『ギターと其巨匠達』、ヨセフ・チュート『ラウテとギターの参考書』、及びエミリオ・プジョール『ギター論』の独訳などから稿を得たとの事。【1928・S3・第9号】 

 

     この頃のアルモニア合奏団の編成は、第1マンドリン4、第2マンドリン4、マンドラ4、マンドロンチェロ2、マンドローネ1、ギター4、フリュート1、ほかにピアノ・打楽器。【第9号】

    ※当時、指揮が澤口忠左衛門、マンドリン首席奏者は高橋功であった。

 

     6月10日JOHKNHK仙台放送局)よりアルモニア合奏団の試験放送。

7月3日小合奏を放送する。7月19日、アルモニア合奏団の本放送。【第9号】  

 ※合奏団の日誌に「放送は演奏会より難しい」とある。

  

     「アルモニア」にて楽譜取次ぎ業務開始。マンドリンオーケストラ譜のみからスタート。【1928・S3・第10号】

 

     編輯後記より――『現在本邦の弾絃音楽は素人たる事を意識している素人に依ってなされていると信じているが、ややもすると素人だからという遁げを打つ避難所に安閑しようとし兼ねない。実を云うと、僕達だってそういう安易さは持って来いなのだが、これは非常に危険なことである。』【1928・S3・第11号】

 

     ドイツにおけるギター教本として、以下を挙げている。ハンス・ラゴッキー『ギター教程全3巻』、アルバート、チュート、ヘンツェ、シュワルツ・ライフリングン、フォルベール、シェルラー。古典としては、カルカッシ、ソル、カルッリ、コスト。【1928・S3・第12号】     

    ※記事中、<エルメネギルト・カルシオ E.Carosio>の名有り。イタリア

     でギター独奏小品を多数出版し名声があったというが日本では知られていない。

     この人物に限らず未だ紹介されていないギター作曲家がかなりいるようだ

 

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